神秘のトルコ、悠久のエジプトの旅
3月初旬から中旬にかけて紀元前からの古い歴史を持つ両国を訪れた。三月になり暖かい旅と考えて出かけたが、意外にも日本(名古屋)よりかなり寒くて驚いた。トルコのイスタンブールは日本の仙台と同じ緯度と分かりなるほどと納得した。
神秘の国トルコへ
関西空港から飛び立つターキッシュエアラインズの直行便に乗り、関空からトルコのイスタンブールにノンストップ約13時間で到着。(22:30離陸、現地時間の5:40着陸、時差 約6 時間)


関西空港のビジネスクラスラウンジ、広いが中部国際とフードは変わらない
ターキッシュエアラインズのジャンボジェット乗客300人以上
ビジネスクラスの機内食

イスタンブールに着き、すぐ国内線でトルコ中央部のカイセリに向かう(約1.5時間の飛行)、そこからバスで観光地カッパドキアへ向かう。(約1.3時間)
イスタンブール空港は広くて綺麗だ。ボーでイングブリッジから荷物受け取りまで500mちかく歩く
カイセリの近辺は雪に覆われていた遠方に雪に覆われたトルコ最高峰アララット山が見える
カッパドキアでは待望の気球乗船バルーンツアーに参加した。
15人乗りの気球でカッパドキアの上空を約1時間飛行する。風なく恵まれた天候で安定した飛行を楽しんだ。
未だ開けやらぬ黎明の時、バーナーで気球を膨らませ上昇の準備をする
飛行証明書
一度に50気球程度飛び立つ

カッパドキアのもうひとつの売りはアナトリア高原の中央部に広大な面積を占める奇岩の太地だ。


「イマジネーションの谷」のラクダ岩 他にトカゲ,フクロウなどユニークな形の岩がたくさんある。
ビサンチン時代から異教徒に迫害された人々がこの地に、岩をくり抜いた洞窟や、地下数十メートルにも及ぶ地下都市を造り隠れ住むようになった

カッパドキアでは洞窟ホテルに宿泊することができた。宿泊は「ニノケーブスイーツ」の名ホテルで、伝統的な洞窟住居をリノベーションしてバス(風呂)、シャワールームも備わった豪華な部屋だ。
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約20部屋があるホテルだが各部屋の造り広さ設備が違うにのもユニークで興味深い。
中心地にはギョレメ野外博物館があり、この中にはイスラムの圧迫から逃れるため百箇所程洞窟をくり抜いた隠れ教会や修道院が見られる。
洞窟内隠れ教会の壁に描かれたフレスコ画
カイマルク地下都市の一部通路、地下8階まであり,教会は勿論、ワイナリー、食糧庫もあった。狭いところは人一人がやっと通れる狭さ。多い時は1000人近くが暮らしたと言う。
洞窟レストランでは昼食をとった後バスでコンヤ(カッパドキアから西に約230km)へ向かう。
コンヤは13世紀セルジューク朝の都として全盛期を迎えた。荘厳なイスラム建築が残る古都である。
コンヤ市内の広大なメブラーナ博物館
メブラーナとは「我が師」の意味でメブレブイー教団の創始者ルーミーの事
メブラーナと名僧達の棺が置かれ、霊廟とも呼ばれている。
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ミナーレ(尖塔)を幾つか儲けた立派な建物,ミナーレはその教会の権威を示し,定時刻に周辺地域にコーランの放送を流す

棺には精緻な細工が施されている

イスラムの高い建築技術装飾技術が見られる
古いコーラン
古代使われた楽器
古代イスラム楽団
儀式の服装
コンヤ市内を走る市電
コンヤからバスで西に約410km離れたローマ時代から温泉保養地♨️、丘の斜面を覆い尽くす真っ白な石灰棚で有名な観光地パムッカレに向かう
400km近い長い高速道路の左右両側麦畑以外なにもみえない。太陽が麦畑から昇る。
広大な国土、豊富な食料を思い知らされた。

ベリーダンス




トルコの学生をよるファッションショウ、
東北の秘境、奥羽山脈の秘湯巡り
今回ツアー旅行で東北地方の秘境にある秘湯7ヶ所巡りの企画があリ、個人ではなかなか行くことができないところなので参加した。北海道、関東、中部,九州から一から三名づつ計9名で参加,仙台空港に集まりそこからバスを使って奥羽山脈の秘境の温泉巡りした。中部国際空港からは二名の参加。可愛いピーチアビューションjetで仙台まで。

平泉は中世までは東北で最も栄えた街であった。平安時代には奥州鎮定となり藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の時代は最盛期を迎へ黄金に輝く寺院、仏像が都(平等院など)を凌ぐ勢いであった。「唐の都にも黄金の都ジパング」と伝わった。鎌倉幕府を開いた源頼朝による義弟源義経追討による街全体の焼き討ちなどにより今ではほとんどの建物が消滅しているが中尊寺,毛越寺などは広い境内、庭園を残し古(いにしえ)の繁栄の一部を偲ぶことができる。
中尊寺はよく知られているが、毛越寺(「もうつうじ」)は読める人すらほとんどない。毛越寺は基衡が建立したもので広大な浄土庭園(前庭に大泉ゲ池を配す)20棟にも及ぶ大伽藍などがあり中尊寺に劣らない。


古木が古の繁栄を忍ばせる


松尾芭蕉は近くの義経自刃の場所 高舘(たかだち)を訪れた後、この毛越寺の大泉ゲ池の周辺で
「夏草や つわものどもが 夢の跡」を読んだ
今回入浴できた各種温泉のタオル
平泉から北陸自動車道を花巻、盛岡と北上し、盛岡から岩手山の麓を通り奥羽山脈を横断し、岩手県と秋田県の境界に位置する八万平(はちまんたい)に入り、西に十数kmの焼山の麓に玉川温泉郷が位置する。数ヶ所の源泉があり,玉川温泉のほか南玉川温泉、新玉川温泉などが有名である。今回は設備が良い新玉川温泉に宿泊しそこから翌日玉川温泉、南玉川温泉を訪れた。山また山の山林に囲まれ、熊が頻繁に出没(今回も道中二度も遭遇した)するので,徒歩で外出するのは禁止された。また強酸性の湯が豊富に湧き出ていて、碧く澄んだ水の玉川に混入するため、玉川は魚はもちろんのこと全ての水性生物が生きながらえず地元では「毒川」と呼ばれている。下流の水田にこの水が混入すると米作ができなくなるので、巨額の費用をかけた除染装置(石灰石で中和処理)が設けられていると聞いた。
玉川温泉♨️
この温泉郷の中心で江戸時代から秘境の湯治場として知られており昭和の初めまでは、鹿が温泉で傷を治しているとの言い伝えがあり「鹿湯」と言われてきた。98°cの毎分9000ℓと言う日本一の湧出量で、強酸性湯。また世界で台湾の北投温泉と玉川温泉でしか産出しない特別天然記念物の北投石(ラジュウム,トリュウムを含み微弱な電磁波を放出する)が地下に埋蔵されており、微弱電磁波の
癌などの放射線治療を必要とする人たちが、ガイガーカウンターを持ち込み、電磁波が出ている岩盤を探し筵を敷いて岩盤浴をするので有名である。自炊して長期滞在する人のための貸し部屋がある。
北投石は特別天然記念物で売買禁止、今では日本では手に入らない
長期治療者の貸し部屋
(効用が期待できる病気)
放射線治療を勧められた癌、血流を良くすると改善効果が見られるリュウマチ、間接痛、火傷、脳卒中など
新玉川温泉♨️ (男女別々の浴槽)
新しいホテル式の宿泊設備、屋内岩盤浴人気
強酸性の温泉、傷口,目に湯が入ると、とても痛い
各種の酸性強度に希釈し湯
湯華温泉
打たせ湯
露天風呂男女別
(効用)
アトピーなど各種の皮膚病、ニキビなど皮膚の傷
岩盤浴の微量な放射線による癌予防(NS細胞増殖によりがん細胞増殖を防ぐ)
温泉水を100倍以上に薄め飲む事出来る。(高血圧,心臓病,肝臓病気、の人は飲まない方が良い)
痛風、慢性消化器疾患、糖尿病に効果あり
南玉川温泉♨️
珍しいオレンジ色の温泉 混浴

蒸の湯(ふけのゆ)♨️ 岩手県八幡平の最古の湯
宿泊設備が有る
混浴
至る所がら蒸気が噴き出している
混浴皮膚の若返り、美肌効果大 肌がすべすべ,ツルツルになる
混浴
カルデラ湖、
日本で水深一番深い423.4m
秘湯ブームの火付け役となった。草深い辺鄙な里谷にある

男女混浴の露天温泉、美肌効果大
混浴
昼食 稲庭うどん御膳
青森と秋田の県境にある十和田湖 (深度327m) 十和田八幡平国立公園の中心
打たせ湯 5分で肩こりが治る
脱衣場のみ男女分かれているが、温泉は混浴

東北では最高地に位地する(1400m)
広大な露天温泉、勿論混浴
昼食 アマゴ、きりたんぽ鍋、山菜天ぷら御膳
諏訪湖の花火大会
15日バスツアーで諏訪湖の花火大会に行ってきました。今回は湖上の特別桟敷席がとれており、湖上の打ち上げ場所から一番近い場所から見られました。2万発以上の打ち上げで、来場の見学者も数万人だと聞きました。湖上を渡ってくる微風が心地よく、打ち上げ時の風圧、腹に響く打ち上げ音地響きなどすごく迫力がありました。一昨年見学した熊野の花火大会より、連続打ち上げの頻度が高く湖面の仕掛け花火もダイナミックで日本屈指(ベスト5)の花火だと感激しました。
帰りは白馬で1日ゆっくり♨️で過ごし帰りました。さすがお盆の最中で中央道は混み合っていましたが、二時頃出発したので渋滞はなく思ったよりスムーズに戻れました。











ウズベキスタンの首都タシケント
人口250万人、「中央アジアの首都」とも呼ばれる大都市。シルクロードの中継地として繁栄してきた。1966年の大地震で街の大部分が崩壊したが、数年後に近代都市として目覚ましい復興を遂げた。中央アジアで始めて地下鉄が走った。ウズベク人が市の人口の70%を占めるが、タジク人、タタール人、ロシア人、高麗人などで構成されている。イスラム(スンニ派、シーア派)教徒が大半を占めるが、戒律はイランの様に厳しくなく、お酒も飲めるし、女性もチャドル、ブルカ、二カーブ(顔を隠し全身隠す)を身につけている人はおらず、ヘジャブ(スカーフ)をつけている程度。女学生も開放的で気軽に声をかけてくる。
美しい地下鉄の駅
地下鉄 車内では老人に席を譲る
市の中央にあるテイムール公園
戦後捕虜として抑留強制労働されウクライナで没した日本兵墓地、ウクライナ各地の日本兵墓地がここに集められている。
親子二台にわたるボランティアにより隅々までよく手入れされている。約350柱
日本兵抑留強制労働者が多く建設に力を注いだナヴォイ劇場
壁面に日本兵抑留者の参画に感謝の意を示したプレート
街の中央にあるチョルスーバザール

ウズベキスタンのナン少し硬い
ウズベキスタンの子供達
とても人懐っこい
シルクロードの青の都サマルカンド
ウズベキスタンの首都タシケントから特急列車「レギスタン号」にて青の都サマルカンドに向かう。
タシケントの駅構内
大理石の床でとても美しい
駅中庭
特急列車
冷房が効いていて涼しい
駅構内に入るのに荷物のX線検査がある。車両の幅が少し狭いが車内販売もあり日本とほとんど変わりない。約1時間で到着。
シルクロードの花の都と言われたホルムズ朝が築いた美しいかつてのサマルカンドの都は1231年のモンゴルの攻撃で破壊されたが、その後チムールが1369年にチャガタイハン国を滅ぼしチムール帝国を建国サマルカンドを首都として復興し素晴らしい都が復元された。その後16世紀初めにムガール帝国に受け継がれ14から17世紀にかけレギスタン広場はシルクロードの主要路の交差点として活気にあふれ政治文化経済の中心として大いに栄えた。

この美しいコバルトブルーの青い陶磁器は9世紀期にはイスラムで染め付けが開始された。日本でも16世紀には中国(呉須と呼ばれた)経由で伝来美濃焼などで染め付けに使われた




細かい染め付けに感動した
王宮入り口の門の細かい彫刻
レギスタン広場
中央テイッラカリーメドレッセ
右側シールダールメドレッセ
左側ウルベグメドレッセ
メドレッセは天文台または神学校の意味


王宮入り口
絢爛たる王宮内部


ムハンマドの肖像
ハーレムの中には、約30の妃の部屋がある
ライトアップされたミナレット(螺旋階段の塔)




テイッラカリメドレッセのライトアップ 夜になると市民が涼みにくる
10世紀頃この地区最大のホラズム朝の最盛期の帝国の首
19世紀外敵を防ぐため新しく作られた日干しレンガの城郭
王宮前広場
結婚式の前撮りか
東門
西門(正門)
正面にカルタミナルのずんぐりむっくりの塔が見える元々120mの高さの計画が頓挫し現在26mで中断したまま


モスクの2階から塔に移動できる梯子がかかっている
お土産 リシタン焼
城郭都市内夜景
昼と違った顔を見せる


